はじめまして!そうです!

自己紹介

はじめまして!そうです!まず簡単なプロフィールを

  • 19歳
  • 千葉県生まれ、埼玉育ち
  • 都内大学に通う二年生
  • 趣味 テニス、ギター

…こんな感じです。ぱっとこれを見ただけじゃ僕について全然わかんないですよね?

というわけでこれからは僕の核となる

  1. 中学までの僕 ‐アイデンティティの形成‐
  2. 高校時代の僕 ‐個人的どん底と起死回生‐
  3. 現在 ‐底から這いあがって‐
  4. なぜブログやってんの?

という流れで僕のストーリーを伝えられればと思います!

目次見てなんか壮大じゃね??って思う方もいるかもですが…短い19年なりにいろんなことを経験したつもりなので今日はここに至るまでをちょっとした物語の主人公だと自分を思って自分語りをします!

僕のInstagramはこちらhttps://www.instagram.com/sosugimoto/?hl=ja

中学までの僕 ‐アイデンティティの形成‐

2000年に千葉県の柏市で生まれました。頭からシナモンの香りを放つ大きな子たちだったようです。

・・・ん?子たち?

僕はなんと一緒に生まれた双子の兄がいるんです。この双子はやっぱり切っても切れない関係でして…

それは、このあとお話します!とにかく出生時は、二人で仲良くシナモンの匂いを漂わせていたそうです(あんまり重要じゃないけど)

その後、幼稚園、小学校低学年まで千葉で過ごし、小学校高学年から埼玉県さいたま市の岩槻区というところに引っ越します。

岩槻というところは人形づくりが盛んです!岩槻駅という駅周辺は本当に日本人形の工房とか、販売店がたくさん!読者さんのなかには日本人形とかあんまり馴染みありますか?僕は学校の社会科見学で見学させてもらったり、個人的にもお店や工房に入りましたが見入ってしまう魅力が人形にはあるんです!

やっぱり職人さんの手作りだからなのか…本当に愛情を感じますし、かわいらしいです。

伝統的な日本人形。

 

昔、城下町だった岩槻には日本人形の原材料となる樹木がたくさんあり、城主が日本人形の作成を促したとのことでした。現在は岩槻人形博物館もでき、町全体で人形の魅力をアピールしてます!

 

そんな風情ある人形の町で育った僕は私立中学校に進学します。この前後で僕は、今の自分の糧にもなるギターとテニスを始めました。

ギターを始めたきっかけは、好きなアニメの主題歌をとあるバンドが担当しててすごい惹かれたんですよね。。。その曲コピーしたくてギター始めました。今そのバンドは解散してしまいましたが、そのバンドの音楽は自分を支えてもらってます!

ライブでのギター

テニスは、学校の近くにテニススクールがあって興味本位で通い始めたことがきっかけです。一見弱い動機に思えますがなんやかんや10年くらい続けてます。トレーニングとか辛いですけど、試合中はプレーにのめり込む感覚があってそれが大好きなんです!

 

高校時代の僕 ‐個人的どん底と起死回生‐

そんな僕も高校生になります。しかし、ここで個人的に大きな転機が起こります。

ずっと一緒だった双子と離れます

中高一貫校に通っていた僕はそのまま高校に進学します。一方双子は、本格的にサッカーをやっていたこともあり、高校でサッカーを集中してできる環境を求め受験をし、見事合格。そのまま外部の高校へ入学します。

「それだけ?別に寂しいとかないでしょ」と思う方もいらっしゃるでしょう。確かに寂しくはありません。家で会えますし。しかし、やはり隣の芝は青く見えるというか。。。

何か熱中できるもの、青春のすべてをかけるものを持つ双子に、それができる環境に入れた双子を妬んだだと思います。

確かに、ギターやテニスといった好きなものはあります。でもそれを職業にしたいといった感情はありませんでした。

この時期から僕は何をするべきなのか、何が本当に好きなことなのかを探し始めます。自分を奮い立たせるために、これからの自分ある種生きる意義を見つけるために様々なことに高校時代チャレンジします。

ギターから派生してバンドを組み、自分たちでライブハウスを借りてイベントをしたり。友達と一緒に国際交流のワークショップを主催したり。修学旅行の実行委員長、応援団副団長、テニス部部長。読書も好きだったから自分で書いた小説を賞レースに送ったことも(ボソッ)。

また、勉強なども手を抜かず、どれが熱中できることかしっかり選択できるように様々なことに闇雲に全力でした。

そうこうしているうちに、自分の進路を考える時期に。自分がマーケティング分野に興味があったこともあり大学に入って専門性を高めたいと考え、大学進学を決めます。そして自分は高校生活で何事も手を抜かずそれを客観的に評価できる実績もあったため「推薦」という入試形態に挑戦することにします。

 

しかし、推薦は結果から言うと不合格でした。

 

自分はAO入試と指定校推薦を受けようと考えました。しかし当時、私の高校は、推薦に寛容ではありませんでした。指定校推薦は枠が非公開となっており一度だけ志望校、学部を聞かれ、その大学と学部の枠がなければもう指定校は諦めろというある種宝くじのような方式でした。

僕はその宝くじを外し、指定校推薦はダメでした。しかし、AO入試は見事一次試験は合格しました。私は何が何でも合格してやる、今まで全力でやったことを正当に評価してもらえば大丈夫、と二次試験に向け面接や小論文といった対策をがむしゃらにしました。

それに対し、推薦に対して寛容じゃない学校、同級生から「そうが落ちて焦るのが楽しみ」「そうは落ちるでしょ」「推薦なんて無駄」と言われ続けます。そんな敵ばかりの環境のなかでもなんとか当日を迎え、全力を尽くしていました。。。

先ほど書いたように結果は不合格。それを同級生らに報告すると「やっぱりな」と笑いながらからかってきます。なんと教師からも「一般入試の邪魔だった」「迷惑」「血迷ってた」と言われました。自分の信じていた人たちからの罵倒、努力の成果が評価されなかったこと。

すべてに自暴自棄になりかけました。夜中に絶叫して起きたり、学校への道中吐き気に襲われたり。

でも、この推薦入試対策を通して志望理由等を整理できたおかげで自分の将来やりたいこと、ビジョンが明確に強固なものになりました自分はなんとしても大学に入ってマーケティングを勉強し、将来に繋げたい。だからもう一般受験に賭けることにしました。

正直推薦の惨敗がわかってから一般入試まで4か月ほどしかなくて、ある程度勉強の習慣はありましたが、間に合うかわかりませんでした。でも、自分のようやく見つけられたやりたいことのために諦められませんでした。必死で食らいつきました。

一般入試の結果は志望校に合格

 

そして今に至ります。正直まだ話したりないこともあります。(実はAO入試の内申書に高校側のミスがあったとか笑)でも、推薦入試を受けるまでの過程で習得できた粘りやスキル、そして将来のビジョンは一生ものです。

あと、自分のやりたいことのためなら、達成できるまで努力できるし、乗り越えられない壁はないんだなとも今は感じます。

現在 ‐底から這いあがって‐

今は、自分のビジョン通り、大学でマーケティングを中心に勉強をしています。自学も欠かさず、マーケティング検定も取得しました。着実にマーケティングの知識を自分のものにしています。しかし、マーケティングを知識として詰め込むだけでは、その先にある実践の場に繋げられない

現場での実践経験を積み、インプットした知識と自分が発展させた施策を試してみたい。そう考え、私はwebマーケティングを扱う企業のインターンを探し始めました。

そして現在、とあるベンチャーのインターンとして現場に立たせてもらっています。理論と実践を往復できるマーケティング人間となり、活躍したいと思っています。

加えて、高校時代、酷い人たちだけではありませんでした。家族や何人かの友人、大人は支えてくれました。そういった人に恩返しをしていけるように、誇ってもらえるようになりたいと考えています。

なんでブログやってんの?

ある日インターン先の社長から…

「webページ作ってるからまず自己紹介書いて」

と言われてしまったんです笑

でも自分としても発信、そして学習の良い場だと考えてます。僕はこのブログを通して

  • 自分が吸収したマーケティングの知識を発信し役立ててもらう。
  • 発信を通して知識整理をし、いかにわかりやすく伝えるか試行し、読者に寄り添ったメディアに。
  • 知識を応用した具体策の思考、立案と発信。
  • webマーケティングを学ぶ、実践する。

以上のことを目標にこのwebページ運営をしていこうと思います!自分の強みであり、今後さらに磨きをかけてくマーケティングを皆さんに発信、そして発展させていきたいと考えています!マーケティングに関する情報、手法に興味がある方、ぜひチェックしてみてください!

それではよろしくお願いします! 

Posted by 杉本